Examination




 試験、真っ只中。

「先生」

 無言の圧力を受けて、呼び名を訂正する。

「ナル」

 相手の名を呼べば、無表情ながらも言葉が返ってきた。

「何だ」
「あたし、まだ合格しないの」
「あぁ」

 吐息交じりの頷きに、ガクリと肩を落とす。
 また、ダメなのか。
 涙目になりながら、目の前にいる黒衣の男へと、暗澹な気持ちを詰め込んだ息を深く吐き出した。






 あたしは悪魔になるためにココにいる。
 ココとは人間界だ。

 人間の世界でいう17歳になったあたしは、将来を悪魔になるために試験を受けている。
 両親が悪魔なので、子供のあたしも悪魔になろうと簡単に決めたものの、学校では最下位の成績で、悪魔にはまったく向いていないと判断された。

 筆記試験がダメなら、適性試験を受けたが、それもダメ。
 実地試験なるものを今しているのだが……。

「いったい、どこを取って合格といえるんだ。この評価で」

 パタンと音を立てて、ファイルを閉じる男は、あたしの実地試験担当者だ。

 白皙の美貌に、切れ長のするどい視線。
 絶対にコイツ人間じゃねーだろうというオーラを背後に、こちらを睨んでいる。
 本来、実地試験を受ける側と、それを見て合否を判断する側は、会いまみえないはずなのに。
 一目で解る人間離れした顔に、コイツ絶対に自分の合否判定者だと見抜いたあたしの直感は非常に正しかった。





 スクランブル交差点で、人混みに飲まれながらも、先生と声をかけると、無視された。
 そりゃあ、あたしと会ったら判定者としての公平な判断ができないからマズイのは解るけれど、無視はないだろう。
 もしかして、人いや、悪魔間違いなのかもと思ったが、見慣れたオーラとユラユラと揺れる空気の揺らぎが同類だと知らしめていた。

 自分は、まだ悪魔ではないけれど、両親や周囲にいる悪魔を見ているから解るのだ。こんな場所で出会う確率を思うと、これはもう自分の合否を判定する先生しかいないわけで。

「先生」

 今度は、洋服の裾を掴んで呼び止めた。
 白皙の美貌が、こちらを振り返る。

「その呼び名はよせ」

 鼓膜に響く声音は、あたしの耳朶を震わせた。

 コードネームなのか本名なのか、はたまた愛称なのか、ナルと名乗る悪魔にあたしは名前を告げる。

「あたしは、マイ。ナルはあたしの判定者でしょう」
「そうだな」

 ふぅと溜息を吐き出す要領で肯定する相手に、ヨッシャーと顔を綻ばせ抱きついた。

「何をする」

 冷めた目線が、あたしを見下ろす。

「色仕掛け。あたし、合格した?」
「色仕掛けには、ほど遠いな。それと同等に、合格にもほど遠い」
「なんでー、可愛い女の子に引っ付かれているんだよ。充分、色仕掛けじゃないか」

 合否云々も気にかかるが、色仕掛けじゃないと言われて、ムウッと顔を顰める。
 そりゃあ、胸や色気もないけれど、それなりに可愛い女の子に引っ付かれたら、喜ぶものじゃないだろうか。
 自分の父親に同じことをしたら、絶対に、顔が脂下がるだろうし。
 そんなことを考えていたら、上から男が、フッと笑った。
 鼻で笑われてます状態のあたしは、プーッと頬を膨らます。

「なんだよ、もう」
「それだから、誘惑の一つもできないんだろう、オマエは」

 グッと言葉に詰まる。
 実地試験の一つにある項目。

 誘惑。

 相手を惑わせて、自分の思う通りに動かす技だ。
 いま、ナルにしていることを人間の男にしてみた。

 夜中、人通りの少ない場所で、通りかかった青年に抱きついた。
 自分の思い通りに相手を惑わそうとしたのに、身体が宙に浮いたと思ったら、地面に背中を打ちつけられた。

 いったーいと声を上げたら、相手の男が呆然とこちらを見ていた。
 「どなたですか」と聞かれたので、「マイです」と答えたら、「知らない人です」と言われて、スタスタと歩いていってしまった。

 おい。こっちは背中を打って痛いと言っているのに、立ち上がるのに手も貸してくれないのかよと思いつつ、他に誰かを呼ばれても困るので、さっさと場所を移動する。
 そのあと、女性にも同じようにしてみたのだか、痴漢に間違われて叫ばれた。

 さすがに、いきなり抱きつくのがまずいのかと、声の一つでも掛けて、抱きつこうとしたら、その気配におびえたのか、声を掛けようとした相手がサッとダッシュで走り逃げていく。

 いったい、何がダメだったのか。
 逃がすものかと、ジッと相手を背後から睨みつけていたのがまずかったのか。
 可愛い女の子がニコリと笑う表紙の雑誌に同じように微笑みかけて、笑顔の練習をしていた後で、振り返り、声をかけたのがまずかったのか。
 何がいけなかったのか、反省の意味を込めて当時を振り返る。



「誘惑の意味も知らないのか」
「知ってる」
「知っていても、出来なければ意味がない」
「やってるって」

 現に、ナルに引っ付いて誘惑している。
 先生が、あたしの魅力にコロっと参ってくれたら、合格にしてもらって悪魔になれるのに。

「マイ」
「何さ」

 呼ばれて、自然と顔が近づく。
 ふわ、長い睫毛。
 半分伏せられた瞼から見える、漆黒の瞳に視線を合わせる。
 ボウッと霞む視界に、無表情な顔がぼんやりと映る。
 薄い唇が何かを囁く。
 何を言っているのだろう。
 それを聞き取ろうと、顔を更に近づける。

 ナルの服に手をかけて、足先をピンと伸ばして、背伸びする。

 また、唇が動いた。
 空気がそれに合わせて、震えている。
 だから、何て言っているのさ。

 音を拾おうと、耳の神経を尖らせて集中する。

「マヌケ」

 そう音を捉えた直後、あたしの足は地面を蹴った。

「ズルイ、避けるな」

 あの至近距離で蹴りを入れたのに、見事に避けられた。
 なんで?必殺必中の絶妙な間合いだったのに。

 地団駄踏んで悔しがるあたしに、ナルは白けた表情で肩を竦める。

 くうっ、負けるもんか。絶対に試験に合格してやるんだから。
 13項目の一つもクリアできないなんてことはないはずだ。
 誘惑がダメなら、魅惑も無理っぽい。
 狂惑はどうだろう。
 煽惑くらいなら出来るかも。

 まだまだ、頑張るんだから、あたし。
 判定者の美貌にクラッとしかける脳みそへ、気合を込めてパンと両頬を強く叩いて、未熟な自分に活を入れた。



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