Inspiration 




「あの人、コスイしているなぁ」

 有権者の皆様にお願いしています。
 と大きな声で街頭演説している人を見て、安原さんが言った単語に目を見張る。

 コスイって、セコイってこと?
 でも、その場合の台詞としては、コスイことしているなぁが正解の言い回しだと思うけど。
 いやいや、某国立の大学生だぞ、彼は。
 この言い回しで合っているのかも。

 頭を悩ましたまま、黒尽くめの上司と一緒に、事務所へ戻るため、人だかりの街頭を抜け出した。







「ぼーさん。コスイって何?」
「いったい、なんのことだ、麻衣」

 昨日、街頭演説をしていた人を指して、安原さんが言っていた単語のことだと、ぼーさんに説明する。

 あの人が、ズルイことをしたと言いたいのか。
 それとも、ケチだといいたかったのか。
 でも、どれも違う様な気がして、ずっと考えていたのだ。

 タイミングが合わず、安原さんに聞けず仕舞いだったので、今いる、ぼーさんに質問してみた。

「あぁ、コスイね。こう書くんだよ。そりゃあ」

『鼓吹』

 ぼーさんの達筆な文字で書かれた漢字を見て、首を傾げる。

「オイオイ、現役女子高校生。意味を知らんのか」
「うん」

 簡潔に、肯定の意を表したあたしに、ぼーさんが顔を上に向けて、お手上げのポーズを取る。

「いいか、鼓吹っていうのはなぁ」

 意味を知って、慌てて所長室に飛び込んだ。






「ナル。知ってた」
「何だ」

 ノックをした後、返事も貰わず押し入った先には、静寂を邪魔されたことで不機嫌な顔の上司が、椅子に座ってこちらを冷やかに見詰めていた。

「昨日、安原さんが言ってたコスイの意味」
「あぁ、安原さんに教えてもらった」
「いつの間に」

 あたしだって知りたかったのに。

 ナルが、セコイとか、ケチだとか、ズルイの意味で、あの人のことを捉えていたら、それは間違いだよと教えるために、慌ててココへ来たのに。
 もう、正解を知っていたなんて。

 ムーッと剥れていると、鼻で笑われた。

「麻衣は、今知ったようだな」
「そうだよ。悪かったね」
「一つ、賢くなったじゃないか」
「本当に、アタシこれで、大学受験は大丈夫そう」
「無事に受かってから、安心するんだな」

 グサッと正論を言われて、押し黙る。

「麻衣」
「はーい。お茶ですね。今、お持ちします」

 引き攣り気味な笑顔で、所長室を後にする。

 くそぅ、負けるもんが。絶対、大学に受かってやる。
 更なる気持ちで勉学に打ち込むため、拳を固めて決意を新たにする瞬間だった。






「ナル坊。もう少し言い方ってもんだあるだろう」

 麻衣に受験勉強を頑張らせるためとはいえ、怒らせてどうするんだよと言ってやりたい。

「麻衣には、効果的だと思うが」

 ヒンヤリとした口調で言われて、そういうもんかねぇと視線を給湯室へと向ける。

 まぁ、受験生だというのに、知らない単語があったら、意味をちゃんと調べろとは思うよ。俺も。
 麻衣としては、自分のことよりも、ナル坊が間違った知識として覚えてしまっていないかということに、重きを置いた感じがするんだが。

 その辺は、分かっているのだろうか、コイツは。

「お待たせしました。はい、どうぞ」

 定位置に座る上司へと、お茶出しをしたムスメの笑顔に、サクラサク春は、そう遠くないことを密かに感じ取っていた。



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