Misfortune 




 ソファーに座り、ゆったりと紅茶を飲んで、お喋りをしていたら、突然こんなことを言われて驚いた。

「麻衣はナルが好きなんだって」

 まどかさんの言葉に、あたしは目を瞬く。

「あのー、それって」

 気後れつつも問いかけると、バチンとウインクを寄越された。

「覚えていないかしら。わたしが麻衣ちゃんと初めて事務所で出会ったとき。その少し前に、聞こえてきた言葉なんだけど」

 まどかさんと初めて会ったのは。
 桜のころ。
 あたしが事務所に勤めてから、1年が経っていた。
 偽博士の調査で、美山邸事件に巻き込まれたときだ。
 まどかさんはナルを尋ね事務所に訪れて、あたしと出会ったのだ。

 でも、その少し前に聞こえた声って。

「あぁ!!!」

 タカと二人で事務所の掃除をしていたときに、この一年でのナルとの進展を聞かれた、あの時だ。
 あたしのふざけた言葉にタカが反応して、開け放った窓から大声で叫ばれた。
 道行く人が一斉に顔を見上げたから、恥ずかしかったことを思い出す。

 まさか、あの中に、まどかさんがいたのか!?

「ちょうど聞こえる範囲にいたのね。わたし。ナルって言葉が耳に残っていて、マイって誰のことかしらと思っていたら、事務所で麻衣ちゃんに会ったじゃない。あら、これはと後でリンに問い質してみたの」

 まどかさんの衝撃発言に、あたしは息を呑む。

「問い質したって、リンさんにですか」
「そうよ。なのに、リンときたら、自分は何も知らないの一点張りで、面白みがないんだもの。ガッカリしちゃった」

 その当時のことを思い出したのか、まどかさんの唇が尖る。

「でもね。その後の麻衣ちゃんとナルの遣り取り見てたら、なんとなくそういうのも有りかなと見守ってたんだけどね」
「はぁ」

 あたしは、まどかさんにナルとのことを見守られていたのか。
 全然、気が付かなかった。

「ナルと入れ違いで、私が所長代理で日本に来たでしょう。そのときに、綾子からことの真相を聞いて、あららと思ったけれど、ふふふ、私の目に狂いはなかったわね」

 その言葉に、口を割ったヤツの顔が浮かぶ。
 眉根が寄ったあたしを見て、まどかさんが少しだけ早口になる。

「お酒の席でね。少しだけよ。彼女、麻衣ちゃんのことを心配していたから。何も知らないわたしが余計なことを言って、麻衣ちゃんを悲しませると思ったんじゃない。老婆心よ。怒らないでね」

 あたしの肩に手をあてて宥めるまどかさんの口調に、怒りはすぐに霧散する。
 あのときのあたしは情緒不安定で、ジーンを思い出しては泣いて、事情を知っている女友達に話を聞いてもらっていた。
 だから、綾子がまどかさんに話したのも、仕方がないと今では解るけれど。

「正直このまま、ナルと麻衣ちゃんが恋人同士にならず、他の人とくっつくのかなと思ったときもあったけれど、取り越し苦労だったみたいよね。奥さん」
「まぁ、そうですね」
「新妻ですものね。麻衣ちゃん」
「はぁ、そうですね」

 ナルと結婚して、あたしは人妻になった。
 この新居に遊びに来る人は限られていて、その中でも、まどかさんは特別に要注意なのだ。



「まどか、また来ていたのか」
「ナル」

 書斎から、ノートバソコンを持ってナルが出てきた。

「いいじゃない。新居にお邪魔して新妻麻衣ちゃんとお話しするの、楽しいモノ」
「くだらない話なら、他でどうぞ」
「くだらなくないわよ。昔話をしていたの」
「そんなに昔を懐かしむ、お歳になったんですね。森さん」

 ナルが冷やかに皮肉を言う。
 何か、イライラすることがあったんだろうと推察できるが、それを、まどかさんにぶつけるなんて、ある意味、ナルはチャレンジャーだと思う。
 言われた当人は、ニコリと笑ってナルに手を差し出す。

「ノーパソ貸してちょうだい。ナル」
「何故」

 突然の要求に、ナルは及び腰だ。

「メールを打ちたいの。貸してくれるわよね。ナル」
「自分の携帯を使え」

 ノーパソを背中に隠して、ナルが答える。

「嫌よ。パソコンの方が打つの早いんですもの。貸してちょうだい」

 まどかさんが立ち上がり、ナルとの距離を狭めていく。
 勢いに負けるカタチで、ジリジリと後退するナル。
 その二人を、じっと見つめる傍観者のあたし。

 ナルが、ノーパソを頑として譲らないことを悟ったまどかさんが、次の手を打つ。

「じゃあ、いいわよ。書斎にあるディスクトップを貸してもらうから」
「冗談じゃない。絶対に触るな」

 ナルが声を荒げている。
 そこまで、拒絶するモノが、まどかさんにはある。

「いいじゃない。昔は貸してくれたでしょう」
「そのせいで、僕の論文が消去されたのは忘れたのか」
「覚えているわよ。ただ、ボタンを押しただけで、どうしてナルの書きかけの論文が消えたのかは判らないけれど、今回は、多分、大丈夫でしょう」
「その根拠は、何だ」
「ナル、用心深くなったでしょう。ちゃんと保存かけて、別の場所に記録をとってあるのなら、パソコンが多少壊れても平気よね」

 壊すこと前提として話している時点で、いろいろとアウトだと思うよ。まどかさん。
 確信犯の笑みを浮かべて、お願いするまどかさんを見て、ナルが押し黙る。

 おぉ。観念するのか。ナルは。

 あたしが見守る中、スッと背中に隠したノーパソを取り出して、まどかさんに差し出した。

「ありがとう。ナル」
「そのパソコン、後で、リンに渡してくれ。麻衣」
「分かったよ」

 心持ち肩を落として、ナルが書斎に戻って行く。
 大丈夫だろうか。

 ソファーから腰を浮かせたあたしを、まどかさんが手で制する。

「大丈夫。しばらくしたら出てくるわよ。麻衣ちゃんのお茶を飲みにね」

 ニッコリと笑う顔を見て、肩から力が抜ける。

「このパソコンを、リンに届ければいいんでしょう」
「いえ、あたしが持って行きますから」
「そう?じゃあ、お願いね」

 まどかさんから手渡されたノーパソ。
 一度も、キーボードには触っていなかったけれど、コレって壊れているのかな。

 あははと乾いた笑みを浮かべたあたしに、人懐こい笑みを返される。

「メールしようと思ったけれど、電話の方が早いから携帯から電話するわ。ちょっと、ごめんなさい」

 バッグから出して、何やら操作しているが、どうも様子がおかしい。
 あっちにウロウロ、こっちにウロウロしては、携帯を眺めている。

「あれ、何でかしら」
「まどかさん?」
「最初は電波が届かなかったみたいなんだけど、何故か、今は電源がつかないのよね」

 まさか。

「充電切れだと思うのよ。麻衣ちゃん電話を貸してもらえる」
「はい」

 思わず自分の携帯を差し出しそうになって、慌てて、家電の子機を持ってくる。

「どうぞ」
「ありがとう」

 電話番号を押して、耳にあてるまどかさんを見て、思わず詰めていた息を吐き出すけれど。

「麻衣ちゃん、繋がらないの」
「え!」

 渡された子機を手にして、耳にあてた。
 何の音もしない。
 なんで、どうして?

「今日、工事中なのかしら」
「まさか」

 うちの子機だけが壊れたのなら、まだ救いはあるが、さきほどウロウロと歩いていた時に、モデムに触れて通信回線が壊れたのだとすると……。

「まどか、何をした」

 ナルが書斎から出てきていた。

「何もしてないわよ。携帯から電話しようとしたら充電が切れていたから、子機を借りて電話しようとしただけよ。でも、工事中みたいで何も反応もないの。もしかして、これもバッテリー切れなんじゃないの」

 のんびりと言うまどかさんとは対照的に、ナルの血圧はどんどん跳ね上がっているように見える。

「電話は、他で借りるわ。じゃあ、お邪魔さまでした」

 爽やかな笑顔を残して、まとがさんが玄関から去っていく。

「麻衣、玄関に塩を盛れ」
「まどかさんは、厄災じゃないよ」
「同じだ」

 肩を怒らせる旦那様に、あたしは、そっと近寄ってポンポンと背中を叩いて慰めた。





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