「ナル!」
麻衣が、大声を上げて部屋へと入ってきた。
先程、紅茶を持って入室してきたのは気配で分かっていたが、活字から視線を剥さず、そのままの姿勢でいたら、足音を忍ばせて麻衣が部屋から出て行った。
静寂の中、この部屋に残されたのは、芳醇な香りを漂わせる紅茶と、小袋が一つ。迷わずカップを取り、喉の乾きを癒す。
そのまま、気になる文章を目で追い続けていると、ノックもなしに突然、麻衣が乱入してきた。
これには、黙っていられず、活字から目を引き剥がす。
文句の一つでも言ってやろうとした僕の目に、必死な形相の麻衣が映る。
「食べてない!よね」
「これのことか」
机上に乗っている小袋を指す。
「うん、そう」
よかったと安心したように眦を下げ、麻衣が頷いている。
「食べたいのなら、どうぞ。谷山さん」
読書の邪魔をされ苛立っている気持ちのまま、そう告げる。
「うん、これは、あたしが食べるね。ナルは食べれないから」
麻衣が、小袋を手に取って、大事そうに掌に仕舞い込んだ。
食べれないわけではなく、食べたくないだけなのだが、麻衣は、ごめんと僕に謝る。
「よく見てからナルに渡せばよかったのに、食べられないモノを出して、ごめんなさい」
シュンとして項垂れる麻衣に、僕は、不可解な気持ちになる。
いったい、何を指して食べられないと彼女は言っているのだろうか。
「魚が、サンマが入っているなんて思わなかったんだよ。ごめんね。ナル」
開け放たれた所長室の扉から、暇人たちが顔を覗かせて僕たちを見ている。
そんな中、麻衣が僕に謝りつつも、変なことを口にした。
食べてはいないが、小袋は目にしていた。
そこに、サカナ。
サンマなどは書かれていなかったように思う。
「サンマのDHCが粉末として入っているのかな。あたし、さっき食べたのに、全然、そんな味はしなかったんだけど。でも、お菓子の名前になっているんだから、やっぱり入っているんだよ。本当に、ごめんね。ナル」
この言葉に、扉にいた事務員が噴き出した。
口元を手で押さえ身体を折り曲げて、笑いをこらえているようだ。
「ちょっと麻衣。このお菓子に、サンマは、いいえ、魚は入っていないわよ」
松崎さんが、小袋に書かれているらしい成分表を見て、そう声をかけてきた。
「ぇ!だって、このお菓子の品名に名前が入っているよ」
麻衣の返事に、ぼーさんが安原さんと同様の姿勢になった。
「麻衣。貴女、間違ってますわよ」
原さんが、冷静に間違いを指摘する。
「えぇ!何処が?」
手に持った小袋を見て、麻衣が首を傾げている。
その品名を、僕は読み上げた。
「Sun Muscat Raisin」
「あ!」
間抜けな調査員は、気付いたようだ。
「サンマ・スカッと・レーズンじゃなく、サン・マスカット・レーズンなんだ」
彼女が持っているモノには、確かに【サンマスカットレーズン】とカタカナで書かれていた。だが、その上には、英語で僕が読み上げた名が記されていた。
「誤解が解けたようで、ホンマ、よかったです」
聖職者の笑みとは対照的な気持ちで、僕は、意識して口角を持ち上げた。