「俺だろう、俺」
「いや、ここは、同僚兼年の近さで、僕だと思います」
毎度おなじみSPR所内で、話し合う二人に、ドアを開けた人物は、軽くため息を付く。
「あっ、所長、お茶ですか」
安原が椅子から立ち上がり、ナルにそう告げる。
「麻衣は、まだですか」
狭くもなく広くもない室内を見れば一目瞭然。
分かり切っていることを聞いてくる男の台詞に、プッと笑いが滝川の口から漏れる。
「ナルちゃん、そんなに麻衣が恋しいのかよぉ」
「美味しい紅茶が飲みたいだけです」
そのまま所長室に戻るのかと思いきや、定位置のソファの座る御仁に更に口角が吊り上る。
「麻衣が来るまで、こっちで待機ってワケね」
「谷山さんほど美味しくはないですけれど、一応、僕のお茶でも飲みますか。所長」
多分、いや、絶対に、断られると分かっていても、ここは、一言聞いておくべきだろう。そういう意思のもと訊ねてみると、やはり、思った通り、キレイに首を横に振られた。
所長室から出てきたときに、持ってきたファイルをジッと見ているナルに、滝川が声をかける。
「なぁ、なぁ、ナルちゃん。どう思う?」
明確な内容のない問い掛けに、一度は無視して用紙の字面を追う。
「やはり、僕だと思いますが」
メガネのフレームを指先で軽く押し上げ、安原がニヤリと笑う。
「何、言ってんだ。少年。俺は、麻衣の父親だぞ。絶対に、俺が一番だろう」
「いやいや、滝川さん。お父さんには言えないことの一つや二つはあるに決まっているじゃないですか。ねぇ、所長。その点、この安原修。谷山さんの同僚兼、頼れるお兄さんとしての実績がありますから、僕が一番言いやすいと思いますよ」
ここが、ポイントです。
いいですか、重要ですからね、ぜひ、覚えておきましょう。と言わんばかりの笑顔で話を振られたナルは、冷やかな視線を二人に向ける。
「いったい、何のお話ですか」
「もちろん、麻衣の話に決まっているだろう」
なんで、分かんないかなという表情の滝川に、侮蔑の視線をやったあと、その隣にいる安原へと視線を流す。
「谷山さんにとって、一番、話し易い人は誰かということで、滝川さんと話合っていたわけですが」
「とても、話し合っていたようには見えませんが」
二人とも、話し合うというより、自分が一番だと譲らない内容だったはずだ。
そう告げれば、なんだよ、聞いてたんじゃねーか。と拗ねた声でボソリと呟く滝川と、キラリと眼鏡のレンズが光を受けて反射する安原が口を開く。
「所長は、どう思われます。谷山さんが、誰に一番心を開いて話していると思われますか」
「麻衣は、誰にでも心を開いて話していると思いますが」
「でもよー。肝心なことは、こう言ってもらえてないんじゃないかって気がするんだよな」
滝川の拗ねた言葉尻や態度に、ナルは少し考え込む。
孤児だったことを1年も言わなかったことを指しているのだろうか。
それとも、ジーンのことをずっと胸に秘めていたことを言われているのかもしれない。
「別に、そういうことを誰にでも言えってわけじゃないけどなぁ。言えないのと言わないのは、ちと違うだろう」
安原の事務机に寄りかかりながら、こちらを見ている滝川を目に捉える。
「ぼーさんは、麻衣が甘えてこないことが不満だと言いたいわけか」
「まぁ、ぶっちゃけ、そういうことだな」
スキンシップで身体は甘えてくるが、言葉で頼ってくることは滅多にない。
その滅多にない言葉ですら、こちらを気遣った内容に、ほんの少しだけ寂しさを覚えると言ったら、目の前の麗人はなんと答えるのだろう。
そんなことを思いながら、質問を繰り返す。
「だから、ナルちゃん。麻衣が、一番話し易い人物は、誰だと思う」
先程よりも、若干深いため息を一つ吐き出して、黒衣の青年が回答を口にする。
「原さんだろう」
それきり、興味を無くしたとばかりに、目が再び手元のファイルに落とされる。
「あー、同性は外してくれ。同性を入れたら、真砂子ちゃんや綾子が一番に決まっているからな。まぁ、下宿先の子というのもあるかもしれないし、学校関係というのもアリかもしれん。そう考えると、結論が出ないから、異性ということで頼むわ」
拝む仕草をする滝川を尻目に、ナルが再び口を開く。
「それなら、僕だろう」
本人は当たり前の回答をしたつもりだろうが、周囲は、手と首を一斉に横へ振って否定の意を表す。
「えぇぇえええ、それはナイだろう」
「あはは、所長。僕も、それはナイと思います」
二人同時、瞬時に否定され、持っていたファイルをパタンと音を立てて閉じる。
「どうして、そう思われるのか知りたいのですが」
「だって、麻衣がナルに言うわけがないだろう」
「一番、心を開いているかもしれませんが、言い易いという点では、一番ではないと思います」
滝川と安原の反論に、ナルの眉がピクリと動く。
「では、ご自分が一番だと仰りたいわけですか」
その言葉に、当然とばかり二人が頷く。
かくして、冒頭の台詞が再び、二人の口から切って落とされるのだった。
「麻衣、お父さんに正直に言ってごらん」
「なにさ、ぼーさん。のっけからに。あ、ナル。お茶だよね。すぐに用意するから」
「それよりも、麻衣、聞きたいことがある」
「えっ、お茶よりも質問が先なのぉ。何さ、ぼーさんも安原さんも、いったい何の用なの」
麻衣が事務所にやってきた。
いつもの時間よりやや遅めなのは、彼女にとってはささいなことだ。
ただ単に、電車に乗るのに時間がかかったからなのだが。
それでも、遅刻。遅刻と道玄坂を小走りに駆け上がって職場へと来てみれば、男3人に囲まれた。
「麻衣」
「何、ナル」
「オマエが一番話易い人物は誰だ。この場合、同性は除いてだ」
念押しするように、ナルが質問してくるが、いったい、お茶を後回しにしてまで、何を聞きたいんだ、この人はと呆れてしまう。
残りの二人を見遣ると、ナル同様、何故か真剣に、こちらを見つめている。
まるで、自分の名前を呼んでくれと言わんばかりの男共の態度に、フムと少しだけ考えて麻衣は口を開いた。
「ジョン」
ガクッと肩を落としたのは滝川で、安原は、あぁ、聖職者ですからね、と、どこか納得顔だ。
それに対して、ナルは眉間に皺を寄せる。
「ねぇ、もういいかな。あたしもお茶飲みたいし、ナルも欲しいでしょう」
これで、もうおしまいとばかりに、麻衣が給湯室に足を向ける。
「マテ、待て、麻衣。それなら、二番目は誰なんだ」
落とした肩を再び押し上げて、滝川が勢い込んで尋ねている。
それとは対照的に、ナルは静かに麻衣の口元を見遣る。
「えー、二番目ねぇ。ナルと安原さん、かなぁ」
口元に人差し指を当て、視線を上に向けながら、考えるようにして麻衣が答える。
「マジか。ナル坊と少年が2番目なのか、麻衣」
泣きつかんばかりに、滝川が麻衣へと近づく。
それを、阻止したナルが麻衣を胸元へと抱き寄せた。
「ナ、ナナナ、ナル」
麻衣が動揺して、ナルの名前を呼ぶが、そんなことを、当人は気にしていない。
「どうして、安原さんと僕が同列なんだ」
「えっ、だってねぇ。どっちかと言ったら、ナルが2番目なんだけど、安原さんとそう大差ないんだよねぇ、あたしにとっては」
フムフムと頷く、小作りな額をピシッと指弾する。
「いたぁーい。なんで、そこでデコピン」
「そりゃあ、谷山さん。彼氏に対して、僕と大差ないって言うんだから、腹が立って当然だと思いますけどねぇ」
でも、嬉しいですねぇと安原が越後谷の笑みを浮かべる。
「えっ、でも、本当に大差ないんで、イタッ。また、何すんだよ、ナル」
額を抑えて涙目になっている麻衣を更に引き寄せ、頭上に顎を乗せる。
ブチブチ文句を言いながらも仕方がないとばかりに、スリッと麻衣がナルに擦り寄る。
隙間がないように密着する二人に、父親はひたすら涙を零す。
「まっ、まぁいぃぃぃ。お父さんは、もしかしたら、リンよりも順位は下なのか」
それだけは、それだけは、ありえないと呟く、滝川に麻衣はアッサリと答えを口にした。
「ううん、三番目は、ぼーさんで、4番目はリンさんかな。やっぱり」
ここは、明確な答えが出ているようで、ナルや安原のように同位とはならないようだ。
「でもねぇ、ぼーさんも、リンさんも、背が高いから、長く話していると首が痛くなっちゃうんだよねぇ」
ここで男三人は、自分たちが求めていることと、麻衣が話していることが微妙に違うことに気が付いた。
「えーと、麻衣ちゃん。それは、どーいった意味でしょう」
「へ、話易い人だよね。あたしとそう身長差がない人が一番話すのに首が疲れないんだよねぇ」
「なるほど、それで、ブラウンさんですか」
「そう、ジョンと話すときは、楽でさぁ。ナルと安原さんの身長差ってそうないでしょう。ぼーさんとリンさんは背が高いから、長く話していると首が上向きすぎて、痛くなっちゃう。話しているときは、人の目を見て話すことって、お母さんに言われていたから、癖になっちゃって。でも、あんまり長く話し込むと、もう、首筋が攣ってきちゃって、リンさんや、ぼーさんのお腹辺りに話しかけちゃったりするんだよね」
あはは。と笑う麻衣に、脱力する滝川。
「麻衣」
「何、ナル」
「リンと首が痛くなるほどの立ち話を、したことがあるのか、オマエは」
「えっと、うん。まぁ、ね」
歯切れが悪く頷く麻衣に、微笑は浮かぶが目が笑っていないナルがいた。
「お茶を所長室に」
麻衣を胸元から引き剥がして、言った当人は部屋へと引っ込む。
「さて、仕事。仕事」
安原が、自分の事務机に座って、パソコンへと視線を向ける。
ソファに力なく蹲った滝川へと、一瞬視線を寄越して、恋人へ紅茶を持っていくために給湯室へと麻衣は足を向ける。
温かな紅茶を運ぶ麻衣の行く先は、彼女にとって幸か不幸か、今まさにその扉が開かれようとしていた。
「麻衣にとって話し易い人ですの。それならアタクシに決まっていますわ」
「まぁさぁこぉ。真砂子が一番だよ。本当に」
着物姿の自分へと抱きつかんばかりに擦り寄る親友を尻目に、黒衣の青年へとニコリと笑った霊媒美少女は満足そうに、緑茶を口にするのだった。