Extra Episode 




 しばらく実家に帰省していたナルが、こちらへ戻ってくることになりました。





 パタパタと軽い音を立てて、少女がドアを開けて部屋に入ってくる。
 カロンとドアベルが立てる音と同時に、挨拶をされて、中にいた人物たちがそれぞれ返事をした。

 部屋に入って事務所の机の上に鞄を置いた麻衣が、コートを脱ぎながら尋ねてくる。

「もうじき、ナルたち帰ってくるよね。そうしたら、おかえりなさいパーティとかやる?」

 室内にいた滝川が、顔を少しだけ顰めながら呟いた。

「また、当の本人がいちばんイヤがりそうなことを」

 その時のことを想像してなのか、眉間にグッと皺が寄っている。
 あえてそれらを見ないフリをして、麻衣が口を尖らす。

「やっちゃえば、こっちのものだもーん」

 ナルが何かを言っても、まどかさん直伝の笑顔で押し切ってしまえば大丈夫。
 麻衣は、心中で拳を握り闘志を燃やす。

「たくましくなったのう……」

 自称娘の成長に、これまた自称父親が肩を竦める。
 そんな中、部屋にいたもう一人が声をかけた。

「その前に、谷山さん」
「なんでしょう、安原さん」

 眼鏡を掛けた人物に、麻衣は振り返る。

「これを、なんとかするほうが先じゃないですか」

 手を広げて指し示す場所。
 SPRの事務所内は、ただいま、とってもリリカルな雰囲気になっている。
 所長代理の森まどか嬢の好みというか、趣味というか。
 以前、ナルたちがいた頃とは180度違った室内だ。

 シンプルを好むナルに合わせてなのか、ただ単に、家具を置いたまま放置なだけで何も装飾がなかった室内は、今や、可愛い小物たちで溢れかえっていた。ナルや依頼人、はたまたイレギュラーズたちが座っていたソファには、可愛らしいヌイグルミやクッションが置かれている。
 ソファの単色を覆い隠すようなカバーの他に、壁にも、色とりどりの模様が配色されていた。

 それらを改めて見遣った麻衣は、やっぱり和むし、可愛いなぁと思いながらも、少しばかり頭を項垂れる。

「つい、調子に乗りすぎて……」

 安原に指摘されて、マズイかもと今さらながら冷汗が出る。
 この状態の室内に、あのナルが帰ってきたら、どれだけイヤミを言われることだろう。
良くて、一言。いやまて、もしかしたら、もっと罵詈雑言を言われるのかも。

 それを想像して、うひゃっと両手で耳を塞ぐ。
 今は、まだイギリス国内にいるナルの罵声が、すぐ耳元に聞こえてきそうで、思わず顔を顰めてしまう。
 心の中では、まどか嬢が告げた言葉が蘇る。

「依頼人がリラックスできるようにしましょう」

 語尾にハートマークが付きそうな口調と笑顔に、もちろんですと鼻息も荒く返した当時の自分。代理所長がいる間、楽しくてなぁーとついつい、言い訳がましく呟いてしまう。

 滝川が、部屋をグルッと見回して、何かを発見したようだ。

「この大量の菓子どうすんだ」

 部屋の片隅に、堆く積まれた菓子袋に思わず目を向けた麻衣。
 色とりどりの室内で、そこだけは、また別で、自分の目には宝の山に見える。
 それでも、滝川が何を言いたいのか悟って、慌てて口を開いた。

「だって、代理所長が日本のお菓子は久しぶりだって言うから〜!」

 言葉に甘え、ついつい買いすぎてしまい、今に至っている。
 暇さえあれば、口の中にお菓子を入れて、楽しく会話していた頃を懐かしむ。
 それほど前のことでもないのに、今は、まどか嬢がいなくて、あまり減っていないお菓子の山を見ていると、フゥとため息が出てしまう。

 そんな中、滝川が爆弾発言をした。

「あと、おまえ、なんか最近ふっくらしてきてないか。
顔が一番分かりやすいぞ」

 その言葉に、鏡を鞄から取り出して、麻衣が叫んだ。

「うそっ!!マジで!?」

 滝川が告げた言葉通りなのか、真実を映し出す鏡に見入る。
 そういえば、最近ウエストに余裕がないなぁとか、足が少し重たいなぁとか思っていたことを瞬時に思い出す。

 それらに止めを指すかのごとく、安原が告げる。

「毎日よく食べてましたもんね。お菓子」

 笑顔で言われても、まったく嬉しくもない、このセリフ。
 事実を告げられて、現実を見た麻衣は安原に噛みつく。

「気付いてたんなら、止めてよ!」

 両手で握っていた鏡の淵を強く握って麻衣が叫ぶと、越後谷と言われる所以の笑顔でのほほんと返された。

「いやぁ、幸せそうだったんで」

 思わず、この悪魔め……、と麻衣は心の中だけで叫んだ。

「あー、帰ってきたら、ぜったい、すんごいイヤミいわれるー」

【僕のいない間、有意義に過ごされていたようですね、谷山さん】

 鼻で笑う、黒衣の麗人を思い浮かべて麻衣は机に顔を埋め、深いため息を吐き出す。

 もしかしたら、【このブタめ!】とかも言われるのだろうか。
 いやぁ〜〜。そんなのイヤすぎる。

「いや、所長のことだから気が付きもしないんじゃないですか」

 安原が言う内容も、いまの麻衣には届かない。
 脳内で、ナルが冷酷に告げる言葉や態度に、気分がひたすら滅入っていく。

 落ち込んでいる麻衣に、ポップな柄のクッションを手に持った滝川が声をかける。

「とにかくまず、これを片付けねぇと、こっちのがカミナリ落ちると思うわ。
ほら、手伝っちゃるから」

 さっさと片付けようぜと言う滝川の言葉と態度に、麻衣は、ひとりでやるから、いいと断りを入れる。

「こうなったら、一石二鳥を狙って、方づけダイエットを敢行する……!」

 拳を握りしめ、熱意を露わに一人燃え上がっていた。
 その背後に、滝川の小声が覆いかぶさる。

「まぁ、がんばれや」

 娘の雄姿を見ながら、麻衣ならやり遂げるだろうと、アイスコーヒーを口に含んで頷いた。




   ☆    ☆    ☆




 部屋の隅に置かれた、ヌイグルミたち。
 壁に飾ってあったステッカーを剥がし、床には雑巾で水拭きしたあと、乾いた布でまた拭き直す。制服で行うと、短いスカートでは床に膝まづくのに支障があったため、ジャージのズボンを履いて、決行。モップを使えば楽に終わる作業もダイエットのためと、昔ながらのスタイルで、ひたすら手で行う。

 室内に置かれた癒しどころの数々は、今は、一纏めに置かれ、それらをどうするか麻衣は考える。

 捨てるには、惜しい。
 自分の部屋に持ち帰るには、量が多すぎだ。
 更には、殺風景の我が家にこの子たちを置いた場合、確実に自分の生活空間が手狭になると解り切っているため、持ち帰ることもできない。カズちゃんやおばあちゃんらに、貰ってもらおうか、それとも、恵子やタカたちに声をかけて、それぞれ欲しいものを譲ろうかと思案していると、名案がパッと思い浮かんだ。

「そうだ、ジョンがいる」

 ジョンが関わっている施設の子供たちに、これらを貰ってもらおう。
 未開封のお菓子も、その子たちに渡れば、自分以上に美味しく食べてもらえるだろうと胸がホクホクしてきた。

「えーと、ジョンの連絡先は、っと」

 暗記している番号に電話をかける。

「あのね、ジョン……」

 麻衣は微笑んで、会話を続けた。




「ごめんね。こんなにいっぱいで、あたしも持っていくから、ジョン。無理しないでね」

 大きな紙袋が4つ。
 ヌイグルミが一番大きな荷物だが、スナック菓子もなかなか幅を効かせている。

「いや、かましまへん。こんなにたくさん譲っていただけて、ほんまに助かります」

 ジョンの笑顔に、思わず麻衣は、言い訳してしまう。

「そんなに喜んでもらえると、こっちも嬉しいけれど、新品なのはお菓子だけで、後は、事務所の不用品だから、なんていうか、申し訳ない気持ちでねぇ」

 自分なら、人が使った物でも気にならないけれど、中古はイヤと言う人も中にはいることを知っている。施設にいる子供たちにとって新品や中古など関係がないかもしれないが、譲る身としては、思わず、そう口を開いてしまう。

「お子たちにとっては、とても嬉しいプレゼントやと思いますよって。そないに恐縮しはらんといてください」

 眩しいほどの笑顔に麻衣はヘニャリと笑う。

「ジョンて、本当にすごいなぁ」

 嵩張る紙袋を両肩に下げて、ジョンの横に並ぶと、麻衣は心ひそかに破顔した。





   ★    ☆    ★




「おぉ、キレイになったじゃないか」

 今日も、滝川がSPRにやってきた。
 キレイ=装飾も何もない室内を見て、そう告げる。

「部屋だけじゃないよ」

 そんな彼に麻衣は、声をかける。

「おぉ、麻衣も少しはスッキリしたんじゃないか」

 当然とばかりに、麻衣は滝川の前で決めポーズをとる。

「頑張ったんだから」

 室内の清掃はもちろん。
 棚の上や窓ガラスを拭いて、天井の電灯までも、ピカピカに磨き上げた。

 その成果は、室内だけでなく麻衣の体重にも、もちろん変化を施した。

「うんうん、これでナルちゃんのカミナリも落ちることはねーな」

 ニヤリと笑う滝川を見て、麻衣もニンマリ笑う。

「へへへ。これで、ナルがいつここへ帰ってきても大丈夫。来るなら、いつでも、こいっていうんだ」

 先日まで、頭を抱えて唸っていた姿とは違う態度に、滝川は呆れつつ、まぁ、麻衣が満足していればいいかと、心持ち頷いて納得した。

「で、ナルちゃんいつ帰ってくんだ」

 ナルだけでなく、リンも一緒の帰国だ。
 イギリスから日本へ、何事もなく帰ってきたとして、13時間。
 今度もホテルに泊まるとして、こっちの事務所に顔を出すのは、次の日くらいだろうかと計算はするものの、あの、ワーカーホリックの所長さまが、こっちに顔を出さずにホテルに直行のワケがないかと、乾いた笑みを浮かべる。

「うーんと、明日かな」

 多分と告げられた麻衣の言葉に、多分?と滝川の声が続く。

「うん、安原さんのパソコンにそうメールが入っていたって、言われたから」
「ほー、そうか」

 フムフムと頷いて相槌を打つ。
 リンが知らせてきたのだろう。
 ナルという御仁がそんなことをわざわざ知らせてくるはずもないことは、短くもない付き合いで承知している。

「ほぇで、娘は出迎えに行くのか」
「いかないよ。明日、普通に学校だもの」
「あぁ、そりゃあ、そうだな」

 調査で学校を休む麻衣の出席日数を思うなら、こんなことで休むわけにはいかないのだろう。

「それに、出迎えはいらないってナルに言われたし」

 続く言葉に、滝川は身を乗り出す。

「ナル坊と話したのか、麻衣」
「へっ。うっ、うん」

 勢い込んで確認をする滝川に、麻衣が目をパチリと大きく瞬いて答える。

「電話してくるなんて、ナル坊も、気が利くじゃないか」

 あの所長さまが、調査員にそんなことを言ってくるとは、思いもよらず、そう呟くと否定の言葉が返ってきた。

「ナルが電話してくるわけないじゃん。用がある時は、もっぱら安原さんのパソコンにリンさんがメールしてくるよ」
「なら、どうしてナル坊が迎えはいらないと言ったことを知ったんだ。もしかして、エアメールでも届いたのか」

 そう言った滝川に、腹を抱えて麻衣が笑いだす。

「ナルがエアメールなんて出すわけないよ、ぼーさん。ダメ、苦しい。お腹が攀じれる」

 アハハハと盛大に笑いだす麻衣に、そりゃあそうだろうけれどなぁと納得しつつも、滝川は不満を口にする。

「なら、どーして、オマエさんがそれを知っているのか知りたいな、お父さんは」

 父の威厳を、ことさら前に押し出してみるが、娘には効かないようだ。

 ひとしきり笑い終えて、麻衣が涙を拭って、滝川に答えを告げる。

「送別会のときに言われただけだよ」

 あの時か。と滝川が呟く。

 イギリスに帰ってしまうナルとリン。そして、まどかの送別会を開いたのは、もう2か月も前のことだ。

「あのとき、ナルが送別会を開くぐらいなら、来日したときも、歓迎会とやらをしそうだと言ってきて、もちろん、するさと答えたら、来日したときの出迎えはいらないって言ったんだよ。送別会も、似たような感じだったから、出迎えたまま、歓迎会をされると思ったんじゃないの」

 イタズラっぽい表情で麻衣に言われて、さもありなんと、自分も似たような笑みで頷いた。

 これが、日本の流儀なのだから、仕方がないと思って諦めろと、送迎会のときに告げたのは自分だ。歓迎会も一応予定はしているが、何が起こるか分からない、この天然娘を持つ父としては、店を抑えるのは、ナルたちが来日してからでも遅くはないと思っている。

 長時間飛行機に揺られた後にすぐする気はないが、やらないという選択肢はナイ自分に思わず笑みが浮かぶ。

「それなら、事務所で待つんだな。麻衣は」
「もちろん、そのつもり」

 笑顔で告げる娘に、こちらも笑顔で返す。

「当日、何もないことを祈るよ、俺は」

 無事にナルたちが日本へ来ることを祈りながら、娘の頭をポンポンと叩く。

「もう、ぼーさん。髪が崩れる」

 文句を言いながらも、嬉しそうな表情の麻衣に、また、あの上司の元で働くであろう姿を思い描いて、元気づけるようにワシャワシャと、明るい栗色の髪を滝川は撫で摩った。



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