部屋に入ると主上が手紙を読んでいた。
手紙というよりは紙が小さく、走り書きのようなものらしい。
「何を熱心に読んでいるのですか」
「あぁ、景麒。これを読んでくれないか」
主上が差し出したものに、目を通す。
一言、「貴方が好きです。付き合って下さい」と読める。
「主上これは、いったいどこで」
「それより、なんて書いてあるんだ。私には告白に読めるんだが、本当にそう読むのか自信がない」
そのとおりだ。
これは誰かが主上に対して、恋心を綴った文章だ。
王は結婚できないが、恋人を作ってはいけないという法はない。
主上は、いったいどうなさるおつもりなのか。
私が物思いに耽っていると再度、主上から手紙の内容を教えるよう促された。
「間違いなく恋文です。いったい、これをどこで手に入れたんですか」
後宮の主上への警備は徹底しているはずだ。
ということは、内部のものか。
私が、内心で訝しんでいると、その気持ちを読んだかのように主上がやや早口で答える。
「いや、私宛てではないんだ。後宮を散歩していて見慣れない場所に出た時に、廊下で拾ったものなんだ」
少しだけ罰が悪そうな顔をした主上に、私はお小言を口にする。
「また、勝手に出歩きましたね」
「いいじゃないか。自分が住んでいる場所がどんな所か知るのは良いことだと、遠輔も言っていたぞ」
開き直った主上の声音。
私に向き直る態度にも、それがよく表れていた。
また、余計なことをと、ここにいない遠輔に、少しだけ腹を立てる。
その気持ちを隠すことなく、主上に声を掛けた。
「では、これは主上宛てのものではないということですね」
「そうだな、いったい誰が誰に送ったものなのかも分からない。落とした相手が困っていなければいいのだが」
私が持っている紙に視線を落とす主上。
こんなふうに、人のことなのに心配なさる人柄はとても尊敬できる。
いい王だとも思う。
しかしだ、私を漫才に誘うのは止めにして欲しい。
雁から来た2人に、徹底的に漫才を叩き込まれて、神経を衰弱しきっている私だ。
恋文のことで、主上の気がそれて、漫才のことを忘れてくれればありがたい。
公務の他にも、いろいろとあるので、いい加減、漫才ばかりに気をとられている場合ではない。
これを機会に主上が漫才を止めてくれればいいのだが。
今の私にとって、この事件は非常にありがたかった。
「何しているの?陽子」
祥瓊が、部屋に入ってきた。
ここにいる私達の様子から何かを感じとったのか、こちらに歩み寄りながら訊ねてくる。
主上は、いままでの経過を話してどうすればよいのか、相談をしている。
「分かったわ。まかせておいて。後宮のことなら大概処理できるから」
そう言うと、紙を持って足早に部屋を出て行った。
「後宮に働いている人数を考えても、かなりの数だ。大丈夫だろうか、祥瓊は」
「今、主上が考えていても仕方がありません。そろそろ朝議の時間です」
「わかった」
主上の背後を歩みながら、私は内心でほくそ笑む。
しばらくこの恋文の件で、主上の心は漫才には向かないだろう。
これで私は安泰だ。
だが、そう思っていれたのは、その日の夜までだった。
「景麒、聞いてくれ。あの恋文の相手が分かったんだ」
えっ、もうですか。早い。
さすがは主上の信頼が厚い女官だけのことはある。
「祥瓊達が聞きまわって、調べてくれたんだ。女官と官の恋文で、トントン拍子に話が進んで、これを機会に結婚することになったそうだ」
「それは、おめでとうございます」
「あの手紙を拾わなければ、この結婚もなかったことだろうと祥瓊が言っていたぞ」
「いいことをしましたね。主上」
人の縁は奇妙なものだと常々思う。
だからこそ、些細なきっかけで、物事が転んでいくのだろう。
私が、感慨深げにそう思案していると、目の前で主上の口元が吊り上る。
「そ・こ・で・だ。景麒。2人の結婚のお祝いに漫才をしようと思うんだか、どうだろう」
どうだろうと語尾は疑問形なのに、決定事項のように告げる主上に、苦言を漏らす。
「なぜ、見ず知らずの2人のために、漫才なんてしなければならないんですか」
「延麒や楽俊に教えてもらっただろう。そろそろ民にも私達の芸を見てもらおうと思って」
後宮の一部の中でなら、まだ笑われても仕方がないと思うようになったところに、いきなり民に披露するのですか。私達の漫才を。
冷汗が、額に浮かび上がる。
「最初に比べたら、断然上手くなっているからな。雁の2人にも引けは取らないだろう。私はやるぞ景麒」
主上の目が輝いている。
対して、私の目は虚ろになっていることだろう。
主上が今している目は決して嫌いではないのだが、私を巻き込まないでほしい。
主上に逆らえない麒麟の悲しい性をうらみたくなる。
数日後、結婚のお祝いに髪を布で束ねた、2人組みによる芸が披露された。
その芸風を民がどう思ったかは、ここに記さないでおこう。