座り慣れた事務所のソファで、俺は、麻衣の発言に、大きく首を横に振った。
「そりゃあ、無理だろう」
この発言に、麻衣がこちらに食ってかかる。
「なんでさ、ぼーさん」
「あのナルがだぞ、汗を掻いてスポーツする姿なんて想像もできん」
俺が、そう言い切ると、麻衣が少し考え込むように再び口を開いた。
「んー、でもさぁ、ナルって、イギリスではもちろん学校に行っていたじゃない。だったら体育でスポーツするよね。何が得意かは知らないけれど、汗を掻くナルはいるはずだよ」
麻衣自身が学生だから、そう考えるのだろう。
しかし、それもどうかと思うぞ。俺は。
「授業の一環としてなら、ありえるだろうが。今のナルが好んで運動しているとは思えないな」
否定の意味も込めて、そう言ってみたが。
「リンさんに聞いてみたら、吐納とか言って寝起きに太極拳みたいのをしているから、身体は鍛えている方だって言われたけどね。だけど、あたしは外で日光を浴びる生活をして欲しいの。屋内でも、まぁいいけれど。そこに行くまでにお日様を浴びればいいからさ」
一生懸命言い募る麻衣に、ちょっとした疑問が湧く。
「なして、麻衣はそんなにナルに日に当たって欲しいワケ」
俺が首を傾げながら聞くと、言葉がサラリと返ってきた。
「だって、鬱病には日光が一番だって言われたから」
この言葉に、ギョッとして目を剥く。
「はぁ!?ナル坊、鬱病なのか」
姿勢を気持ち前のめりにして尋ねた俺に、麻衣が慌てて両手を横に振って否定する。
「そういうワケじゃないけれど、こう、なんていうか、気分的に堕ち込んだりするときとかあるじゃない。その時に、日光に当たっていれば、そこまで、気落ちしないこととかあるかもしれないと思って。薬を飲むとか、何処か病院で診てもらうとかしなくても、日常のほんのささいなことで、気鬱が防げるなら、そうして欲しいって思っちゃうんだよね」
勢いがなくなり、だんだん尻すぼみになっていく口調。
俯く麻衣の姿を、正面に捉える。
麻衣、オマエ。
ナル坊よりも麻衣の方が、それが必要なんじゃないかと俺は思った。あの夏が再びやってくるからか、GWを開けて梅雨がやってくる前、麻衣は、どこか落ち着かないとでもいうように浮ついた態度をとることがある。
それは、楽しいことを目の前にしてワクワクしているというよりも、悲しくて忘れられない気持ちを無理やり、やり過ごそうとしているようにも見える。
「麻衣、ナル坊と一緒にどこかへ出かけてみたらどうだ」
なるべく軽い口調に聞こえるように、おどけた様を装って提案してみる。
それに対して、麻衣が顔を上げて乗ってきた。
「どこに行くっていうのさ。本屋に荷物持ち?調査で連泊してデータ採取?」
麻衣から出てくる言葉は、現実味がありすぎだ。
「いやいや、それこそ、日光欲にでも出かけてみろよ」
「近所にお散歩なら何度か誘ってみたけれど、悉く却下されています」
そりゃあ、そうだろうな。と思いつつ、ノリの勢いのまま言葉を続ける。
「あー、日帰り温泉とか……。わりぃ、ナルとは無理だな。それは」
自分で口にしておいてなんだが、即座に否定が付いて出る。
「霊が出るんなら、行くんじゃない」
この麻衣の言葉に、ついつい舌が滑り出す。
「明るい陽射しが当たる外湯に、幽霊が多発する温泉かぁ。あるかな、そんな場所」
一人ボケツッコミは、そろそろ厳しいよ。お譲さん。
そんな俺の様子から、麻衣が笑いながら続きを引き受けてくれた。
「あったらいいよね〜。お日様に当たって気持ちよく入浴しながら、データ採取かぁって、あるか!そんな場所。あっても、絶対に入浴したくない。同性でも、一緒に入浴なんてヤダよ、あたし」
心底、嫌そうに言われて、思わずこちらも頷いた。
「俺も、嫌だな。それ。混浴OKの異性と入浴でも腰が引ける」
「だよね」
あはは、と笑う麻衣に、こちらも笑い返す。
父親代理としては、複雑な気持ちだが、早く麻衣に恋人が出来ればいい。
今の気持ちを引きずったままでなく、新たな恋心を育むような、そんな温かい気持ちになれる相手に出会えるといいな。
グシャと麻衣の髪をかき乱して、少し薄味になったアイスコーヒーを飲み干した。