玄関の扉を開くと、丸い先端の靴が目に入る。
爪先をこちらに向けて、キレイに横並びしている様は、ここに彼女が存在していることを示していた。
「帰らなかったのか」
軽く息を吐き出し、ホールに靴を脱ぎ捨てた。
廊下を歩きながら、前方に見える室内の様子を伺う。
嵌めガラスのドアから見える内部は薄暗く、そこに人がいるようには思えなかった。
室内の灯りを点け、ソファに上着と荷物を放り、キッチンへと足を向ける。冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取出し、キャップを外して、そのまま口にする。
明るいリビングに対して、薄暗いキッチン内のシンク傍に、見慣れないモノを発見した。
ジュースの缶だろうか。
カラフルな模様の空き缶が3つ、飲み口を下に、縦に置かれている。ペットボトルの蓋を閉めながらも、観察を続けていると、それが酒の空き缶だと気が付いた。
アルコール3%の表示が見える。
自分が飲んだ記憶はないので、これは麻衣が飲んだものだと見当を付けた。いったい、彼女はここで何をしていたのか。呆れつつ、ダイニングテーブルの上に置かれた夕食を見る。ラップをかけられた皿が、3つ並んでいた。
食欲が湧かず、皿を放置したまま、寝室へと足を運ぶ。
そこに、麻衣が眠っていた。
ベッドサイドの灯りが、ぼんやりと彼女の薄茶の髪を照らしている。
深く眠っているのだろう。寝息と共に、布団が微かに上下している。
今日ここへ来ることは、知っていた。
麻衣と約束をしたのだ。
ただ、仕事に熱中し、帰宅時間が遅くなった。
彼女は、待ちきれずに眠ってしまったのだろう。
あのカラフルな缶を巻き添えにして。
クローゼットからパジャマを取り出し、部屋を出て、シャワーをサッと浴びる。着替えを済ませ、歯を磨き、再び寝室へと戻ってきた。
寝るスペースを作るため、彼女の身体に手を掛ける。少しだけ注意して力を押すと、コロリと麻衣の身体が横へ転がる。温もりが残るシーツへと、身を滑らせる。
一仕事を終えた安堵が、口から零れ出ていた。
その直後、背中を向けていた麻衣の身体が、素早くこちらへと向き直る。後は、寝るだけと、緩んでいた意識が慄く。起きたのかと一瞬思ったが、彼女の目は開かれることがなかった。
ジッと息を潜めて、麻衣を見遣る。
クゥクゥと寝息が口元から聞こえてくる。
無意識に元いた場所に、身体が戻ろうとしたようだ。
その姿に安堵して、ゆっくりと眠りの淵に舞い降りるよう目を閉じた。
カサコソと衣擦れの音がする。
瞼を開くと、隣で寝ていた麻衣が起き上がっていた。
「麻衣」
起きたのかと、続く言葉を飲み込む。
パジャマの上着が、彼女から消失していたからだ。
先程は着ていたはずた。
寝るスペースを作るために、この手で触れたのだから。
「アツイ」
そう言って、麻衣がズボンに手を掛ける。
下着ごと脱ぎ去ったらしく、彼女は生まれたままの姿で目の前にいた。
麻衣の行動を呆然として見ていると、視線に気が付いたのか、彼女がこちらを振り向いた。
「ナル」
寝ている身体へ飛び乗るように、麻衣が覆い被さる。
素肌の彼女が、ニコニコと笑っている。
「おかえり」
そう言われて「あぁ」と言葉を返す。
寝ぼけているのだろう。
そうでなければ、この状況はありえない。
キッチンに置かれていた、缶を思い浮かべる。
アレの影響も、あるに違いない。
間近で微笑んでいた彼女が、上半身を起こす。
ベッドサイドに置かれている淡い光が、麻衣の身体に影を落としている。普段、洋服に隠れている場所が、目に入る。麻衣自身は大きさを気にしているようだが、自分としては、そんなに気にならない二つの膨らみ。ツンと上を向いた頂に、手を伸ばそうとして、彼女の身体に遮られた。
前かがみの姿勢になった麻衣の下腹辺りに、伸ばした手が挟み込まれる。柔らかな下腹の感触が、手の甲へと伝う。甘い吐息が頬にかかった。
「美味しそう」
こちらの顔を見て、そう告げた麻衣の瞳がトロンとしている。 明らかに酩酊している様に、冷静な思考が戻ってくる。このまま放置してしまおうかと考えていると、そこへ衝撃がやって来た。
静観していた身体を動かして、麻衣を振り落す。
痛みに顔を顰めて、鼻を抑える。
指先に感じるのは、歯型だろうか。
麻衣が僕の鼻を噛んだのだ。
「やっぱり美味しい」
トロリとした声音を発して、麻衣が僕の頬に触れる。咄嗟に、身を引いたが間に合わず、今度は、ペロリと添えられた手と反対側の頬を舐められる。大型犬にでも、懐かれたかのように、ペロペロと麻衣が僕の顔全体を舐めている。
噛まれた鼻先を舌先が掠めた。
ピリッとした痛みを感じ、眉が跳ね上がる。
眉間に寄った皺へ、今度は麻衣の唇が押し当てられた。チュッ、チュッと音をたてて、麻衣の唇が僕の額や目元に落とされる。
コイツは、いったい、何をしたいのか。
酔っ払いに反抗しても、理不尽な目にあうだけだと理解して、されるがままに身を任せ、身体の力を抜く。
一通りやり倒して満足したのか、ホゥと息を吐き出して、麻衣が僕から少しだけ離れた。このまま大人しくなるかと思いきや、今度は、首元へと麻衣の頭が移動していく。
首筋を舌が這う感触に、身体がザワリと反応する。
明確な意図を持っての舌技に、自然と腰が重くなる。
時折、チリッとした痛みを感じることから、痕を付けられたのだと悟る。肌蹴られたパジャマの胸元へ視線を向けると、ウットリとした表情の麻衣がいた。
目元の縁が赤くトロンとした瞳で、胸元にキスを落としている。時折、悪戯に舌が撫で摩り、益々、下肢に熱が籠もっていく。更に、頭が下がっていくのを見届けて、その動きを制限するように、麻衣の身体を抱きしめる。素肌に触れる心地よい熱。手のひらに伝わる、彼女の体温と柔らかな肌の質感を味わいつつも、反動をつけて身体の向きを入れ替えた。
いきなりのことに驚いているのか、ポゥッと麻衣が僕を見上げている。
「ナル」
手を伸ばして、こちらの頬に触れてくる。
その手を掴んだまま、麻衣の胸元へと顔を埋めた。
自分に付けられた痕を、麻衣へと返していく。
彼女に付けられたであろう数よりも、多く痕を残すように。
そのことに夢中になっていて気付かなかった。
麻衣が疾うに眠っていたことを。
「なっ、な、な、なんで」
麻衣が、こちらを凝視している。
口調から、何故なのかと質問しているのが分かった。
それは、当然だろう。
朝、目が覚めたら互いに裸だったのだから。
「あたし、昨日、普通に寝た。パジャマは何処にいったの」
麻衣がワタワタと着替えを探している。
「ずいぶんと積極的だったな、麻衣」
その言葉に、彼女の首がギギギと音を立てそうなほど気ごちなく動いた。
「あ、あ、あたしぃ」
視線は、僕の胸元や首筋に向けられている。
麻衣以外に付けられない場所に残る痕。
「き、記憶がナイ」
「だろうな」
酩酊しての行為だったのだから。
だが、それで許してやるつもりはない。
「まだ、時間があるだろう。記憶がないのなら、思い出させてやる」
麻衣を抱きこんで、ベッドに沈める。
「ナル、朝、朝だって、起きなきゃ」
「起きている」
「だったら、ご飯。アンタ、昨日のご飯食べてないでしょう」
断定で言われる彼女の台詞。
それ以上の小言を口に出さないように、吐息ごと飲み込むように唇を重ねる。
「んー、むー」
文句を言わせぬように閉じた唇から、声なき抗議の音が発せられる。そんな彼女の反抗を更なる手で封じ込め、今度こそ最後まで味わい尽くすために、滑らかな肌に手を伸ばした。